ご挨拶平成25年1月1日

理事 森岩 弘 (大妻女子大学講師・日本出版学会会員)

 新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 昨年末の総選挙は大方の予想通り自民党が大勝し、連立を組む公明党とあわせて衆院325と過半数を大幅に超える議席を獲得いたしました。3年余におよぶ民主党政権のお粗末さにうんざりした結果でしょう。そして第2次安倍内閣(公明党との連立)がスタートしました。その安倍政権はどんな政策を打ち出すのか。
 ここで参考になるのが平成18年に発足した第1次安倍内閣(自民・公明連立)の施策です。その前年の郵政解散・総選挙で小泉自民党が圧勝。1年後に小泉首相は安倍官房長官に政権をバトンタッチしました。そこで出てきたのが憲法改正論議であり、一連のメディア規制の動きです。具体的にいえば、共謀罪の新設、児童ポルノ禁止法の改正案(単純所持禁止)、青少年健全育成条例の中央立法化などでした。

 そして6年、すでに憲法改正は公然と語られ、国防軍への衣替えまで論議されています。もっとも、憲法改正などとても一朝一夕に行きそうにありませんので(自民党内にも異論があり、公明党はかなり慎重です)、ひとまず置くとして、懸念されるのは、第一に児童ポルノ禁止法改正案の扱いです。現在同法改正案は国会で継続審議中となっておりますが、次期通常国会で再浮上してくる可能性があります。第二は青少年健全育成法(仮称)の問題です。第1次安倍内閣当時、高市早苗内閣府特命相は「有害環境から子どもを守るための検討会」を主宰し、法務省、警視庁などを督励して、「青少年の健全育成を図るための図書類の販売等の規制に関する法律案」なる骨子案(高市私案)まで発表しています。要するに現在ある都道府県青少年条例の中央立法化です。その高市氏がこの度自民党政調会長という要職に抜擢されました。政権党の政策の責任者です。

 正月が明ければ通常国会が開会されます。絶対多数を擁する安倍政権が提出する法案は、すべて成立が可能です。さて何が出てくるのか。何が成立・施行されるのか。
 干支の巳のごとく、賢く、したたかに対処して行きたいと思っております。

ご挨拶平成24年8月1日

 一般社団法人映像倫理機構(以下、映像倫とする)を代表して一言ご挨拶申し上げます。
 映像倫は、その前身を平成21年設立の一般社団法人日本映像倫理審査機構(同年7月1日)に発し、平成22年12月よりコンテンツ・ソフト協同組合(平成17年7月11日設立)と協議の上で合併し、新たに映像倫として両団体に加盟の会員社(正会員128社、賛助会員2社の計130社、平成24年7月現在)の制作する映像ソフト作品の「審査」及びそれに付帯する調査、研究、啓蒙、普及等の活動を推進して参りました。さらに今般(平成23年7月1日)、一般社団法人審査センターと合併し、同一法人内に「審査」を位置づけて映像作品の「審査」をより身近にかつ厳正に行うことを目指しております。


 映像倫はその目的を「制作者の表現の自由と創造性の育成」と、他方の「青少年の健全育成」や「善良かつ健全な社会風俗の育成」とを調和させるために、「会員の制作する映像著作物の倫理上の審査を行」って、「安全な国民生活の確保に貢献すること」を定款で定めております(本法人定款第3条)。そのための具体的な事業として、「映像ソフト作品に対する自主規制のための倫理的基準の制定や倫理上の審査業務」などを掲げております(同第4条)。また定款は本機構の性格を、「映像ソフト業界の第三者自主規制審査機関」とし(同第3条)、会員制による組織ではあれ、「審査」にあたって各加盟会員社から一定の距離を置くことを標榜し、そのために理事会を構成する理事の選任について「第三者性を担保するために、代表理事は外部有識者から選任すること」、「正会員及び賛助会員からの理事の選任は外部有識者の数を超えることはできない」としています。映像ソフト制作会社から成る、「審査」にあたる自主規制機関ではあれ、そこに社会との接点を設け、社会一般の倫理的な動向を反映させるために第三者的性格を加味した機関としています(同第20条)。


 表現は「表現」なるが故に基本的に自由であってしかるべきというのが日本国憲法の定める民主社会に於ける表現の自由の原則です(第21条第1項)。しかしながら、複数の人間から成る社会にあっては、この社会の存立のためには自ずから社会的な規範が要請され、一方において「見る自由」や「見たい自由」が主張され、他方「見ない自由」や「見たくない自由」、性表現を未成年者に対して「見せたくない自由」も主張されるところであります。仮に自己の営利の追求のみに走り、「見たい自由」に名をかりて自己の「つくる自由」や作品を「売る自由」だけを声高に叫ぶのだとしたら、その作品の承認を社会から得ることは難しく、社会的意義や社会的な存在理由を抜きにして事業の発展は望み得ないでしょう。


 大きく広くは、表現の領域への公権力の介入を事前に防ぐためにも、小さく狭くは、単なる業界の圧力団体でしかないものが映像作品の「審査」をしていると言っても社会は認めてくれないのではないかと考えれば、会員社や業界から一定の距離を置き、業界と社会を結ぶ橋渡し役として業界外から有識者を迎え、「審査」の独立性、公平性、公正性、透明性、説得性等に配慮する審査団体が求められる由縁であります。この主旨を諒とされて、現在15道府県より団体指定をうけております。


 最近のネット上での未成年者の性表現の扱いや児童ポルノ規制、青少年保護条例上の性表現規制の強化の動向を見るにつけ、また伝統的な刑法上のわいせつ表現規制の歴史を思うにつけましても、関係各位からより一層の御協力、御指導を戴きつつ、表現の自由や著作権保護と、他方の健全な青少年の育成、社会規範や倫理、道徳規範の遵守とをいかに調整するか、そのために第三者的性格を併有する自主規制機関としての映像倫の果たすべき役割は何か、を理事一同にとどまらず本機構全体として自らに問い続けて参りたいと存じます。

ご挨拶平成23年7月1日

代表理事 片山 等

 まず何よりも今般発生した東日本大震災(M9、2011年3月11日午後2時46分)の被災者の方々に心より御見舞を申し上げますと共に、一日も早い復興、発展をお祈り申し上げます。

 さて、映像倫に加入の会員の方々には先に御案内の通り、本年7月1日より一般社団法人審査センターと合併してその業務を開始しております。早くも8月には会員社の制作現場と審査の現場に各々従事する立場からの意見交換会を持つことができ、活発に議論が交わされました(8月3日、4日、5日の3日間)。いわゆるビデ倫事件(平成20年3月1日朝日新聞夕刊)を契機として、それまでの形態を一新して、業界内の自主規制機関ではあるものの、業界外(雑誌出版、放送、BPO、学界)からの人材を受け入れて審査団体の理事会構成に第三者的性格を持たせた日本映像倫理審査機構(以下、日映審とする)として本機構の前身が発足いたしました(平成21年7月1日)。
 その後日映審は、コンテンツ・ソフト協同組合(平成17年7月11日設立、以下CSAとする)と協議の上で新たに一般社団法人映像倫理機構を設立(平成22年11月)するに至り、その上で今般の審査センターとの合併となった次第です。いずれが兄か弟かを問う必要もない所でありますが、CSAは協同組合として加入組合員の互助互恵を図る組織として活動し、映像倫は理事会構成の第三者性的性格を前面に出した上で自主規制団体としての性格を明確にし、その上で時代状況に対応した倫理的な判断を下せる様に、審査センターと緊密な連携の上で活動することを目指しております。

 申し上げるまでもなく日本国憲法第21条1項は無条件に表現の自由を保障しております。表現活動は話し手なり書き手なりと聞き手なり読み手なりの相互の交流を前提にしておりますので、そこには当然のことながら社会性、つまり表現活動の持つ社会的な性格が前提とされておりまして、そこには自ずから内在的な限界があることになります。例えばよく言われる例に、いかに表現の自由とはいえ満員の劇場内で上演間近かな時に“火事だ!”と叫べば事故発生が予想されるが故に、そこにはそれ相応の表現の自由の限界があるでしょう。ただし、それはあくまでも表現が行われる状況如何が問われるでしょうし、また一定の表現内容による制約やその限界づけの妥当性が問われることになります。性表現に対する規制もこの文脈に置かれています。原則は表現の自由の保障であって、例外としてその制約や規制が行われるのですから、本来は例外的に制約や規制をする側がその理由を明示して説得しなければならないことになります。
 ところが、日本の裁判所はそのような理解をせずに、そもそも表現の自由には限界があって、その制約を許容するのが「公共の福祉」であるとの見解に立ち、個別事件に於ける何が「公共の福祉」にあたるのかを細かく説明しないままに、表現の自由の保障を制約する判断を繰り返しています。「表現の自由」対「公共の福祉」とする構図で、常に後者が優越すると考える見方です。

 かくして、刑法第175条は「わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。」と定めておりましても、その「わいせつな」の意味が法文上では明確にされないままに、「文書、図画、その他の物」の表現物を規制しております。最高裁はかつてこの「わいせつ」概念につき、

(1)徒らに性欲を興奮または刺激し、
(2)普通人の正常な性的羞恥心を害し、
(3)善良な性的道義観念に反する

という三つの要件を満たすものと定義しています(最大判・昭33.3.13チャタレイ事件)。
この三用件を問題の文章が満たすか否かを裁判官が、「一般社会において行われている良識すなわち社会通念」を基準に判断するとされています。
 結局の所、判例上、個々の事件毎に裁判官が「社会通念」なるものを抽出し、これに基づいて「わいせつ」か否かを判断します。これを前提にして警察が取締当局として捜査対象を決め逮捕等の上で捜査し、送検し、検事が起訴、不起訴を決めるしくみとなっています。

 人権尊重、人権の保障が日本国憲法の大原則の1つでありますが、表現の自由の保障も社会の脈絡の中で考えますと、表現する自由、表現させる自由、表現しない自由もあれば、表現させたくない自由、一定の表現物には接しない自由、子どもを一定の表現物から遠ざけておく親の自由等々も主張されます。自立的、自律的な成人であれば、見る、見ないも自分で決めることができるのが原則ですが、成人に至らない未成年者(18歳未満者)をめぐる性的な表現の問題が昨今厳しく問われています。性的表現をめぐる法規制には、刑法第175条の他に、いわゆる児童ポルノ禁止法や、東京都をはじめとする地方公共団体の青少年保護育成条例による規制があり、三層構造をなしております。とりわけ近時では、漫画による性表現を規制したケースに「密室」事件(東京地判・平15.1.13、東京高判・平17.6.16、最一小決・平19.6.14)があり、罰金(150万円)刑となったもののわいせつ図画、頒布として有罪とされたことから、漫画による性表現とくに未成年者の性表現を厳しく規制する方向が示されています(参照、毎日、平成19年8月1日付朝刊)。

 未成年者を保護しつつ、成人の基本的な権利として自らの判断で読み、聞き、見るものを決める自由を大切のするためにも、強権的な取締当局による法規制をできる限り排除して、業界の健全な運営のためにも業界内の良識的な判断であるとして社会から認識されるような審査を実行していきたいと考えております。事実、かつて映画については映倫の審査を重視する判決(「黒い雪」事件東京高判・昭44.9.17、日活ロマンポルノ事件東京高判例・昭55.7.18)や、ビデ倫の審査を評価する判決(東京地裁八王子支判・平12.10)もあり、独立性、公平性、第三者性を備えた審査団体としてより良き審査、判断を下すべく努力したいと存じます。会員各位の真摯なご協力をお願いする次第です。

ご挨拶平成24年1月18日

副代表理事 堀田 貢得

 新年明けましておめでとうございます。
 とはいうものの、果たして本当に心から「おめでとう」と言い切れるのか、私としては全く実感が伴った言葉にはなっておりません。それは昨年の東日本大震災の深刻さが、時を経るに従って、心に重くのしかかっているからであります。その最大の要因は原子力発電というものが、あの大震災によってその「虚像」を全て曝け出してしまったからであります。

 核の最大被害国であるわが国は、なぜ「核の平和利用」という嘘八百のオブラートに包まれた言葉に騙され、活断層だらけの日本列島に、政治屋、官僚、電力会社の甘言に乗り原子力発電所を作ってしまったのか。「国策」だとはいえ何故国民は、科学者は大声をあげて反対しなかったのか。その「安全性」が「嘘」であることを分かっていた科学者達をも沈黙させ、大企業にしか恩恵をもたらさないものに膨大な国税を注ぎ込み、狭い国土に幾つも作らせてしまった。この政治屋たちの最大の罪を、今こそ私達は断罪しなければなりません。被災地=被害地を再生復興させなければならない政府が、原発を推進させた最大の戦犯である野党自民党の抵抗にあって、一歩も前進しない有様に、呆れて物が言えないのが実感であります。政治屋、科学者には「良識」という言葉は爪の垢ほども無いことに怒りを感じています。そして今こそ物言わぬ国民に大声で「怒り」をぶつけることをしなければ、日本は沈没すると断言したいのです。

 さて、私達業界にも、昨年「ビデ倫訴訟」一審有罪判決という激震が走りました。ある意味で当然の結果とも言えましょうが、私達はこれを一地域の震災と捉え、黙って上手に、こっそり儲けていればいい――というようなことではなく、言うべきことは権力に対して大声で言わなければ「表現の自由」という権利は無になってしまうのです。今年こそは「目立たない」から「目立つ」組織に変身しようではありませんか。ただし「大声」には「抵抗」が伴います。それに対抗する武器は「公共性」と「倫理」です。映像倫理機構は今年もこの二つのキーワードを拠り所に頑張ってまいりたいと祈念しております。